ドラマーといふ病(0)

秋田です。実は去年末から(幸福度指数全国1位と名高い)福井県に住んでいます。

第五回多次元演奏会、よかったですね(もはや楽しむ側の感想)。

初めての映像同期でまさかのトラブル(お陰様で原因は完全に理解し、さらなるステージへと到達しました)が発生して苦々しい気持ちもありましたが、加入当初とは比べ物にならないほどMC
ぢから
を高めた坂本楽のアシストと気品あるお客様方の暖かい反応(と勝手に解釈しています…)、そして何より当事者である福田匠吾先生の精神統一
りょく
の高さに救われました。各位、本当にありがとうございました。

上の表記のために少し調べたら今時の HTML およびブラウザにはルビを振るタグが実装されているのですね。感動しました。全く意味はありませんが…。意味もなくルビを振るのが楽しく、しばらくルビを振りたいがために変な言葉を使うかもしれませんがどうぞお気になさらず。

突然ですが、今回から「ドラマーといふ病」と不穏なタイトルを冠したシリーズを折を見て書いていこうと思います。

私はいわゆるスタジオミュージシャンや専業のプロドラマーという訳ではありませんが、少なくとも気概の上ではドラマーという自負があります。肩書きではなく自我を形成する属性としてのドラマーということですね。ドラマーとはかくあるべきとか、ここでその定義をとやかく言う意図は毛頭ありません。

久しぶりに東京事変を聴きながら洗い物をしていて、はじめてスティックを取りドラムスローンに座ってから20年が経過している事実にふと気づき、当惑というか感慨というか、しみじみとした諦念のようなものが去来したのです。なんだか扱いがたい感情です。折角生起した珍奇な感情を奇貨として何か書きとどめておこうかと思い、ブログを執りました。「病」というのは、もはや己と分かち難く固着してしまった偏り、もはや意思ひとつで容易に付いたり離れたりできるものではないもの、というニュアンスを込めました。ちょっとした長わずらいですね。

とはいえ、発生した感情そのものは上に書いたような曖昧なもので読んで面白いようなものでもないですから、むしろこれをきっかけに自分が今までに蓄積したドラムに関するあれこれを整理することで、さらに先に進むための礎石としたいと思います。半分以上自分のために書くものですが、何か少しでも楽しんで頂ければ稚拙な駄文も成仏するでしょう。

サテ。いざとなると何から書いていこうか見当もつきません。はじめということなので、ルーツ(根っこ、radix、 שׁרשׁ …)を確認することからはじめていきましょうか。

なぜドラムをはじめたのか、その遠因のようなものまで辿るときりがないですが(第一原因としての神…?)、具体的なアクションははっきりしており、幼少期から通ったエレクトーン教室を塾の多忙を理由に(その実は苦手な先生や己の適性の無さに耐えきれず)辞め、さっぱりしたかと思いきや、しばらくすると何かぽっかりと欠乏のようなものを感じたため、「代わりに」地元のドラム教室へ通い始めたことでした。(ちなみに塾には妙な適性があったようですが、これはまた別の話)

中岡憲永先生、何よりもまずとても優しい先生でした(勿論ご存命と思いますが)。グループレッスン枠だったのにたまたま生徒が少なかったこともあり、けっこう個人レッスンに近い形で教えて頂いたことを覚えています。

当時はバンドという概念への認識も希薄で、音楽といっても親が聞いていたもの近所の知り合いに教わった音楽を漫然と聞くくらいでした。このあたり、幼少期から音楽の素養を叩き込まれている人たちにかなわないなと正直感じるところです。

そんな白紙状態のところへ、スティックの持ち方からルーディメンツ(機械的な基礎練習のこと)、そして座学的にロックミュージックを含めて「ドラムをパートとして有する音楽の概観」としてざっくりした20世紀音楽史を学んだこと(これはヤマハ音楽教室の教材が非常に良かったのですが、今入手するのは難しいようです)は、確実に、私にとって最も重要な礎石になっていると思います。若い男の子であれば、細かいことはいいからとにかくセットに座って一刻も早く叩きたいとなりがちなところを、丁寧に教えて頂きました。ルーディメンツは基本的な16分音符のアクセント移動などに加え、今でも欠かせない「ボース」(メトロノームに合わせ、両手両足を同期させた8分音符を数分間一定の音圧と粒揃いを意識して叩き続ける)という練習を学びました。

この教室で学んだことは多く、書ききれませんが、後から振り返ればジャズ・フュージョン方面を専門とする先生の課題曲チョイスはポップスであっても極上のスタジオミュージシャンによる渋い録音が多かったようです。B’z の「Easy Come, Easy Go!は故青山純氏、JUDY AND MARY 「そばかす」は(当時はバンドメンバーですが)五十嵐公太氏、それから MISIA 「Everything」はシングル版では冨田恵一氏の絶妙な打ち込みですがライブ版はこれも青山純氏です。先生が書いてくださった手書きの譜面は今でも実家に保管されています。当時はその良さを1%も理解できていなかったと思いますが、有形無形の影響が今も感じられます。これら課題曲は、メロディーの立った楽曲に生命を吹き込むドラムの役割を伝える上でとても良いものだったように感じます。アタック音主体で、一見すると点で打つことしかできないかのように思える打楽器に、いかにして線や面として連続したものにするか。

こうしたポップミュージックの課題曲を練習する傍ら、個人的にそっと紹介して頂いた CASIOPEA のファーストアルバム『CASIOPEA(1979年作品)は今でも愛聴しています。世界的に有名な神保彰氏が加入する以前、佐々木隆氏がメンバーだった頃の録音で、いくぶん饒舌な手数の多さも前のめり感も何か枠に収まらないエネルギーが伝わってきて大好きです。良くも悪くもこの一枚の影響でテクニック志向に大きく傾くことになりますが、これは先生からすれば誤爆のようなものだったかもしれません…。

閑話休題、つい思い出話ばかりになってしまいましたが、当時学んだことを今振り返ると…

・基礎練習(ルーディメンツ)は永遠の時間を貫いて存在しており、ドラマーはこれのごく断片をわずかな有限の時間だけ汲み取るに過ぎない。

・ドラムはドラム単体のためにあらず、楽曲のために奉仕serviceする存在である。

・譜面を読み書きできることによって、両手両足を忙しく動かす奇妙な楽器を他人が演奏したものを認識し写し取る座標が定まる。

・何かよくわからないがこの楽器は妙に楽しい。

…このようなところに集約されるのではないでしょうか。

さらに端的に言えば、先生との相性如何では続けることなく辞めてしまっていた可能性も大いにあるのだから、

・私のドラマーとしてのルーツは優しくも的確な中岡先生にあった。

と、まとめてしまって差し支えないでしょう。

早くも2800文字を超えてしまったようですから、このあたりで区切ります。どこへ向かうやら。あくまで先へ進むprogressためのものであることだけは忘れないように注意しながら…。

つづく?

 

[告知スペース] もうすぐですが、2月10日に古巣のLIVE SPOT RAG にて超一流フルーティストによるイベントの前座を務める運びとなりました。

赤木りえ・中島徹 ダイナマイトデュオ スペシャルセッション 〜プエルトリコ ハリケーン被害救済ライブ〜

イベント詳細はこちら

実は2015年1月16日に同じ RAG で呼んでいただいたご縁で、今回もお声がけ頂きました。ありがとうございました。土曜日の夜、上質なラテンのリズムに酷寒を忘れて酔いましょう!

予約はこちらのフォームからも承っております。

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